「一人」と「孤独」は違う

自由な人生設計・人生戦略

製造業の現場で20年働き、自分が繊細気質がある事を実感しました。
組織の理不尽さや人間関係のしがらみ、忖度ありきの世界に耐えながら会社員として過ごしました。
その後は独立してアウトソーシング検査業を立ち上げました。
現在は法人成りに至り、経営者として活動しています。
自分が経験してきたことをSNS・ブログを通じて発信。
繊細気質を持っている人に向けて「自分を守る生き方・働き方」を伝えて、生きづらさを抱えている人に伴走する案内人として相談にも応じています。

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「一人で映画を観に行けない」

「一人で外食できない」

「一人で旅行なんて考えられない」

「休日に一人で過ごしているところを、知り合いに見られたくない」

このような人が少なくない割合で居ます。

一人でいることが嫌いなのかというと、必ずしもそうではありません。

行ってみたい場所もある。

庭の手入れだって、綺麗にしたいと思っている。

一人でゆっくり過ごす休日も悪くないと思っている。

それなのに、なぜか行動できない。

その理由をよく深掘りして考えてみると、

「一人だから寂しい」

というより、

「一人でいる自分を、周りの人からどう見られるかが怖い」

が隠れていることがあります。

これは、思っている以上に人生を窮屈にしてしまいます。

そもそも一人でいることは、かわいそうなことなのか

たとえば、大きな家に住んでいて、庭の手入れが必要な人がいたとします。

庭は放っておけば草が伸びます。

本当なら、休日に草をむしったり、木の枝を切ったり、庭をきれいにしたい。

ところが、こんなことを考えてしまう。

「一人で庭の手入れをしているところを近所の人に見られたら嫌だな」

「あの人、一人なんだと思われるかもしれない」

「寂しい人だと思われたらどうしよう」

「かわいそうな人だと思われるのは嫌だ」

そう考えているうちに、庭に出ることを避けるようになる。

結果として、庭はどんどん荒れていく。

本当は、ただただ

庭をきれいにしたいだけなのです。

それなのに、「近所の人からどう見えるか」という問題が入り込んできたことで、自分のやりたいことができなくなっている。

これは庭に限った話ではありません。

一人で映画に行く。

一人でラーメンを食べる。

一人で旅行する。

一人で買い物をする。

一人でカフェに入る。

一人で公園を歩く。

一人で趣味を楽しむ。

どれも、本来なら自分が自由に決めていいことです。

ところが、

「一人でいるところを見られたらどう思われるだろう」

という気持ちが強くなると、自分の行動を他人の視線に合わせるようになってしまいます。

本当に周りの人は、そこまで見ているのだろうか

ここで、深掘りして考えてみたいと思います。

「一人でいる自分を、周りの人はどう思っているのだろう」

とあなたは気にしている。

でも、本当に周りの人は、そこまで自分を見ているのでしょうか。

近所の人が庭を見て、

「あの人、一人で草むしりしている」

と思うかもしれません。

しかし、その人はそのあと、

「今日は夕飯何にしよう」

「明日の仕事はどうしよう」

「子どものことでやることがある」

など、自分自身の生活に戻っていきます。

いつまでも、

「あの人は一人でかわいそうだ」

と考えているわけではありません。

そもそも、相手が何を考えているのかなんて、本当のところは分かりません。

むしろこちらが勝手に、

「きっと、かわいそうだと思われている」

と想像しているだけかもしれないのです。

仮に誰かが本当に、

「一人でかわいそうだな」

と思ったとしても、それはその人の価値観です。

その人がそう思ったからといって、自分がかわいそうな人になるわけではありません。

もしくは、あなた自身が「私は可哀想な人だ」と思っているのではないでしょうか?

周りの目が気になる原因は自分の中にある

では、なぜ「かわいそうと思われること」が、そんなに怖いのでしょうか?

もしかすると、

自分自身が「一人でいる私は、かわいそうな人だ」と思っているからではないでしょうか?

例えば、

「一人で旅行している人を見ると、友達がいないのかなと思う」

「一人で食事をしている人を見ると、友達がいないのかなと思う」

「一人で庭仕事をしている人を見たら、かわいそうに感じる」

もし自分の中に、そんな価値観があるとします。

すると、自分が一人になった時にも、

「きっと周りの人も、私のことをそう思っている」

と考えてしまいます。

自分の中にある「一人=かわいそう」という価値観を、他の人の心の中に映してしまう。

これが「人の目が気になる」という苦しさ、生きづらさの正体の一つなのかもしれません。

「一人」と「孤独」は違う

この話で一番伝えたいことなのですが、

一人でいることと、孤独であることは違います

一人で庭の手入れをしている。

これは、ただ一人で大切な我が家の庭の手入れをしているだけです。

一人で映画を観ている。

一人で食事をしている。

一人で旅行をしている。

これも、ただ一人で楽しんでいるだけです。

そこに「孤独」という意味を付け加えているのは、もしかすると自分自身なのかもしれません。

反対に、家族がいても、友達がいても、職場にたくさんの人がいても、

「誰にも自分のことを理解してもらえない」

「誰にも本音を話せない」

と感じていれば、人は孤独になります。

つまり、

人がたくさんいるから「孤独ではない」わけではない。

そして、

一人だから「孤独」というわけでもない。

人数と孤独は、別の話なのです。

「一人=寂しい」という思い込み

なぜ、一人でいることを恥ずかしいと思ってしまうのでしょう。

それは、どこかで、

「一人でいる人は寂しい人」

というイメージを持っているからかもしれません。

友達が多い。

いつも誰かと一緒にいる。

休日も予定がいっぱい。

そんな状態が「充実している人生」のように見えることがあります。

その反対に、

一人でいる。

一人で食事をする。

一人で休日を過ごす。

となると、

「寂しいのではないか」

「友達がいないのではないか」

「かわいそうなのではないか」

と思ってしまう。

本当にそうでしょうか?

一人でいる時間を楽しめる人は、決してかわいそうな人ではありません。

むしろ、

自分の時間を自分で楽しめる人

とも言えます。

他人の目を気にして、自分の人生を萎縮しない

他人からどう見られるかを気にすること自体でいえば、人間ですから周りの評価が気になるのは自然なことです。

問題なのは、

「どう見られるか」が「どう生きたいか」よりも大きくなってしまうこと

です。

本当は庭をきれいにしたい。

でも、近所の人に見られるのが嫌だからやらない。

本当は観たい映画がある。

でも、一人で映画館に行くのは恥ずかしいから行かない。

本当は旅行に行きたい。

でも、一人旅をしていると思われるのが嫌だからやめる。

本当は挑戦したいことがある。

でも、「そんなことをしていると思われたら恥ずかしい」と考えてやめる。

こうして少しずつ、自分の人生から「自分のやりたいこと」が消えていきます。

これは、とてももったいないことです。

あなたの人生は、あなたが生きて、あなたが満足するために進めるものです。

他人に見せるためのものではありません。

「一人でできる」は、強さでもある

一人で行動できるようになると、人生の自由度は大きく変わります。

誰かの予定に合わせなくてもいい。

誰かが一緒に行ってくれるのを待たなくてもいい。

誰かから誘われるのを待たなくてもいい。

「一緒に行く人がいないから、やめておこう」

という選択をしなくてもよくなります。

もちろん、誰かと一緒に楽しむことも素晴らしい。

家族と過ごす時間も、友人と過ごす時間も大切です。

でも、

「誰かがいないと何もできない」

という状態からは、自由になれます。

一人でも楽しめる。

一人でも行動できる。

一人でも自分の機嫌を取れる。

自分の人生を自分で動かしていくための力です。

まとめ

一人で行動することを恐れなくても大丈夫です。

一人でいることは、孤独とは違います。

誰かと一緒にいなければ幸せになれないわけでもありません。

一人で庭をきれいにする。

一人で好きな映画を観る。

一人で美味しいものを食べる。

一人で知らない場所へ行ってみる。

そうやって、自分自身と一緒に過ごす時間を少しずつ増やしていく。

すると、

「一人でも、けっこう楽しいじゃないか」

と思える瞬間がやってきます。

周りからどう思われるかより、

自分がどうしたいのか。

周りからどう見えるかより、

自分がどう感じるのか。

そこを大切にして欲しいです。

誰かに「一人なんだ」と思われてもいい。

誰かに「寂しそう」と思われてもいい。

誰かに「かわいそう」と思われてもいい。

それは、その人の自由です。

こちらには、

自分の人生を楽しむ自由があります。

一人でいることと、孤独であることは違います。

そして、一人の時間を楽しめるようになったとき、

人生は少しだけ、他人のものではなく、

自分のものに戻ってくるのだと思います。

自分自身を一番の親友にしてみてください。

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