会社員時代に300人の部下を持ち、様々な人と接してきたことで見えてきた“運の悪い人”
行動を放棄したまま、結果だけを願う人がいる。
「神様、どうか勝たせてください」と手を胸に添える。
けれど、現実は非常で、行動せずに祈りを続ける人ほど負けが重なる。
準備を怠った人が勝てるほど、世の中は甘くない。
神頼みを否定するつもりはない。心を落ち着けたり、精神的な支えになる面もある。
肝心なことは「やるべき行動」をやらなかった時点で、スタートラインにも立てていない。
順番は、やるべき行動をやり尽くした先に、あとは神のみぞ知る領域になる。
「偶然に任せる」ことの怖さ
偶然に頼る行動は、一時的には結果が出ても再現性がない。
再現性がなければ、継続して結果を出し続けることができない。
もし勝敗のあるギャンブルなら、人の特性上、負けが続くと冷静な判断力を失い、更に握手を打つ。
損失を取り返そうと無計画にやり続けて、株なら損切り出来ずに塩漬け状態になる。
この負の連鎖にハマる人ほど「神頼み」的な思考に陥りやすい。
「今度こそ奇跡が起きるはず」と、謎の期待を抱いてしまう。
ただ奇跡を待っているだけでは、冷静な分析や判断の行動を飛ばしているだけ。
結果的に、持続可能な活動にならない。

結果を出す人の行動
良い結果を出す人は、運の波に翻弄されていない。
運の波を論的かつ数字で分析して、判断材料の道具として使用している。
- 情報収集の徹底
- 勝率の高い条件の特定
- 損失を最小限に抑えるルール設定
- 感情に流されない決断
この項目が揃って初めて、運に左右されにくい状態になる。
結果的に、行動の大部分は「結果を出すために能力が成長する学びの時間」にもなっている。
遠回りに見えるかもしれないが、この過程があるので継続的な良い結果が残っている。

神頼みより「仏作って魂入れる」
何もせずに願うだけの人は、魂のはいっていない仏像のようなもの。
形は立派でも、中身は空っぽ。
本来、人の願いは「やるべきことをやった上」で結果がある。
努力を積み重ねて、論理的に動き、感情と数字を分けて判断し、やりきった最後に祈る。
この順序を、すっ飛ばして、いきなり祈っても博打に過ぎない。
受験でも、就活でも同じことが言える。
もし「自分は運が悪い」なんて口にしていたら、一度振り返ってみる。
やることはやっていたのか?偶然や奇跡に頼っているだけだったのではないか、と。

自分の中に神様がいる
日本特有な考えとして自然を神様と指す「八百万の神」と呼ばれる言葉がある。
山、森、滝、岩、木、などの自然それぞれに神が宿ると古来から信じられてきている。
自然のあらゆる物に神がいる多神教的な考え方を表しているので、人も自然の一部であり、
この自然の一部である人の中にも神が宿っていると考えればいい。
あなたの中に神様がいるのだから、あなたの中の神様と向き合って、自分と会話していけばいい。
努力が苦しい、継続が辛いと感じているなら、あなたの神様が「この道は違うよ」と教えてくれているものだ。
自分の答えは外にはなくて、いつも自分の中にある。

まとめ
運の良し悪しは、生まれつきだけで決まるものじゃない。
多くは「準備と行動の有無」によって変化していくもの。
たとえギャンブルでも株でも、論理的な分析が土台になる。
神頼みだけで勝てる人は、短期間の一発屋で終わる。
長期的に勝っている人は、祈る前に行動している。
運は行動と論理の延長線上に宿っている。

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