仕事を続けていく中で、「ここに居ても面白くない」「自分が成長していない」「時間が溶けていくようだ」という感覚が生まれてきていた。
こんな感覚も無かったことにして今の状態を継続する。
給料もそれなりにあるし、肩書も与えられている。周りから見れば安定しているように思われている。
見せかけの“安定”で時間はどんどん経過して、感性は鈍くなっていった。
群衆の中で消える自分
人は群れると安心して気も大きくなる。
生い立ちも、生活環境も似通った人たちといると、摩擦も起きにくい。最近は実力主義と言われているが、まだまだ年功序列の企業が多い。
何十年もこの空間が続いていくと、刺激もなくなっていき、成長の必要性も感じにくくなっていく。
この閉鎖的な環境の中での会話は、昨日と今日の違いを探す必要がないため、過去の思い出や他人の噂話で過ぎていく。
仕事はちゃんと忙しい。そんな日々を長く続けていると、自分が何を考えて居たのかさえ忘れていく。
本来、人は挑戦の中で力をつけていく。安全圏に閉じこもるのは悪くはないが、ぬるま湯につかっていては自分を見失っていく。

「高収入」や「安定」が隠す危険信号
給料や待遇は、退屈な現状を正当化する一番わかりやすい理由になる。
「この金額をすてるのはもったいない」「安定しているのに辞めるなんて馬鹿じゃん」
こんな声は必ず出てくる。
この発想は危険信号
どんなに恵まれた条件でも、心が満たされなければいずれ気力は枯渇していく。
やる気が枯れた状態で高収入を受け取り続けると、行動力はますます失われる。
表面上の成功にしがみつくうちに、選択肢は減り、気付けば何も動けない自分が残る。

面白さを失った瞬間が分岐点
「今の環境に面白さを感じない」と本気で思った瞬間、これが動くサインとなる。
転職や独立という言葉は、世間ではリスクとして語られがちだ。
しかし、停滞の中で失う時間は、金銭的な損失よりも重大。
挑戦を先送りすればするほど、勢いも柔軟性も落ちていく。
環境を変える決断は早いほど、やはり有利だ。
結局、現状に退屈しながらでも継続することにリスクはある。
会社の業績だってどうなるかわからないし、自分が高齢になって余命いくばくもない状態で、「あのときもっと挑戦しておけば良かった」と後悔しても“時すでに遅し”なのだ。

一歩を踏み出すための視点
- このまま5年後、同じ顔ぶれと同じ会話をしていて満足か?
- 今の仕事を十年後も誇れるか?
- 今の環境がなくなったとき、自分に何か残るものはあるか?
この質問に胸を張って「はい」と言えるなら、今の仕事は素晴らしい環境だといえる。
もし「いいえ」なら、次の場所へ向かうべきだ。

安定を抜けた先で見える景色
外に出ると、最初は孤独に感じるだろう。
しかし、その孤独は新しい出会いの前触れでもある。
群れの外には、おこなる価値観や技術を持った人がいて、自分を磨く刺激がある。
同じ方向を向いて進む仲間は、外の世界でこそ見つけることができる。
しかも、そこには「自分が面白いと思える人」だけを選べる自由がある。
これこそが群れの安心感とは違う、本物の充実感だ。

まとめ
人は安心の中で腐ることも、不安の中で輝くこともできる。
退屈を感じた瞬間こそ、未来を変える最高のタイミングだ。
高収入も肩書も、退屈を誤魔化す理由になるが、魂までは満たせていない。
自分が面白いと思える環境に身を置くことこそ、人生の質を決める。
時間は戻らない。面白くない群れからは、迷わず抜け出して良い。

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