成功は「する」ものではなく「続ける」もの

仕事・働き方

多くの人は成功を一発勝負のように思っているかもしれない。

試合に勝つか負けるか。宝くじを当てるか外れるか。投資が大化けするか失敗するか。そんな短期的なイメージで語られるのが「成功」という言葉ではないだろうか。

実際に現実の経営者を接するようになって、彼らを見ていると一発勝負の世界とは程遠かった。

少なくとも、経営や仕事においては「成功」は単発で終わるものではなく、継続できるかどうかだった。

メディアに作られた「派手な成功ストーリー」

テレビやSNSの世界では、視聴率を取らないといけないため、どうしても派手なストーリーが求められる。

「一夜にして億万長者」

「借金○○○◯万円からの大逆転」

「落ちこぼれ組から天才組へ」

「最速で◯◯億円稼ぐ」

視聴者がワクワクしなければ数字は取れない。だから誇張が入る。

背景にある泥臭い努力や地味な活動はカットされ、瞬間的なドラマだけが切り取られる。

実際に長年に渡り成果を出している経営者たちは、メディアが取り上げる華やかさとは無縁だった。

経営者仲間や経営者先輩を見ても、一発屋のようにギャンブルで大金を当てた事例は一つもない。

どの社長も自社の強みで社会貢献をして、当たり前のことを当たり前に粛々と活動しているだけだった。

会社を立ち上げて数年間は赤字が続くこともある。

資金繰りに苦しむこともある。

三年を過ぎたあたりから、年間を通して黒字を出し始め、黒字経営を十年、二十年と維持できるかどうか。

この継続に「本物の成功」がある。

傲慢と感謝の別れ道

人は感情の生き物である。

褒められ続ければ気分がよくなり、ゴマを擦られ続ければ自分が特別な存在だと錯覚する。

やがて傲慢になっていき、感謝の気持ちを忘れ、脳がしっかりと阿呆にされていく。

歴史をみても、このパターンで没落した経営者や政治家は数え切れないほどいる。

当たり前のことを当たり前にやり続けるのは簡単なようでいて、実際はとても難しい。派手に持ち上げれるほど、冷静さを保ち続けることは困難になる。

腹の中でどう思おうが構わない。というか、自分を肯定するべき。

「自分の努力の結果だ」

「自分の才能の結果だ」

「自分の行動の結果だ」

なんと思おうが、日本は思想の自由が権利として与えられている国だ。

だが、これらを口に出した瞬間、周囲の人は豹変する。

力ある人間の周りには、寄生する者が必ずいる。

表向きは持ち上げていても、内心では引きずり下ろしたくて仕方がない。

待っていました!と言わんばかりに失言を叩き、足を引っ張りにかかる。

こういう姿は失言で失脚した政治家の歴史を見れば一目瞭然。

言葉は慎むこと。自分を褒め称えることは自分の胸の内で思っていれば良い。

口に出す必要はなく、「皆さんのおかげです」で良い。

成功とは「粛々と続ける姿」

本当に成功し続けている人は、淡々としている。

派手に見せる必要もなく、ひたすらやるべきことを積み重ねている。

彼らの共通点は、社会に価値を提供し続けていた。

その結果として対価を受け取り、収入が安定し、人も集まり、信頼が生まれる。

収入が上がった途端に生活が派手になり、収入以上に浪費が始まれば、生活は崩壊していく。

無理な見栄は長続きしない。

何かに我慢を続けた事があると、収入が増えた途端に我慢してきたことが、一気に爆発して歯止めが効かなくなることもある。日頃から収支のバランスが大切になる。

収益が増えたとしても、頭の中まで浮かれてはいけない。冷静を保つこと。

論理的に考えて、阿呆にならずに、地に足をつけること。

この基本が「成功を継続させる条件」になる。

まとめ

成功はゴールではなくて、通過点にすぎない。

「1−1クリアに成功した、次は1−2を継続して挑戦だ」という終わりのない成功という道

「成功したから完了だ」と言った瞬間から、時計の針は逆回転を始めてしまう。

一度きりの成功ではなく、「成功継続すること」が成功だ。

周囲に惑わされず、驕らず、感謝を忘れず、やるべきことをやり続ける。

この行動が社会に信頼される存在を構築していくことになる。

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