景色は心の鏡

自己成長・メンタルケア

春になると、桜はいつものように咲きます。
場所も木も毎年同じなのに「今年の桜は綺麗だった」「今年の桜はさみしい桜だった」などと感じ方はバラバラ。
桜そのものが変わっていないのだとしたら、違いは何か。

それは「見る側の心の状態」で違ってきます。
同じ景色でも、見え方が変わる。

桜は毎年、同じように咲いている

桜の開花は、自然の摂理。
人の都合に関係なく、季節が巡ればちゃんと咲きます。

「綺麗だな」と、立ち止まって眺められるかどうかは、その年の自分の状況によって変わってきます。
たとえば、心に余裕がある年は、満開の桜を見て自然と心豊かに笑顔になれます。
逆に、仕事に追われ、疲弊している年には、桜が風景の一部としか見えなく、美しいと感じられないこともあります。

自分の置かれた状況で、心の持ちようが、景色を決めています。

見えていないのは景色ではなく「余裕」

忙しさに追われていると、景色はどんどん色を失っていってしまいます。
電車や車の窓から見える桜並木も、ただの「流れる風景」でしかありません。
そこに「綺麗だな」と感じる心の“余裕”がなければ、世界はただの背景にしかなりません。

どんなに美しい風景も、疲れた心には届きません。
反対に、心が満たされていれば、些細なことにも美しさを見いだせる。

これは桜に限った話ではなく、
日常のあらゆるモノに言えます。

  • 家族の笑顔
  • コーヒーの香り
  • 玄関を出たときの外の空気の香り

すべては、心の状態によって価値が変わります。

景色は心の鏡

桜は変わらず、毎年同じように咲いています。
しかし、桜が「綺麗だな」と心に響く年と「なんとく見ただけ」で終わる年もあります。
それは、桜が変わったのではなく、変わっているのは、見る側の「心の状態」です。

たとえば、不安や焦りでいっぱいのときは、目の前のことがすべて「うまくいっていない」「どうしよう」と感じられます。
同じ状況でも、心が落ち着いているときは、「こうすればよかった」「次は気をつけよう」と、前向きに捉えられることができます。

つまり、現実そのものが違うわけではなくて、「どう見えるか」「どう感じるか」が変わっているだけです。
それは、すべて自分の心が決めていることなのです。

景色は、自分の心を移す鏡のようなもの。
同じ場所、同じ人、同じ出来事でも「自分がどんな心で向き合っているか」で、見え方はまるで変わってしまうものです。

ゆっくり観察する時間をもとう

立ち止まる時間がないと、人は心を失っていく。
ときには「観察する時間」を意識してつくってみる。

  • 朝の空、夜の空を見上げる
  • 散歩中に咲いている季節の花に気付く
  • 移動中の外の空気をいっぱい味わう

そんな一瞬が、心に栄養をくれます。

桜のように、自然は毎年、そこにあります。
でも、美しい自然に気づけるかどうかは、心の持ち方次第ということになります。

もし最近、何も楽しいことがないと感じていたら、
それは「楽しいことがない」のではなく、「楽しいと感じる心の感度」が鈍っているだけかもしれません。

まとめ

毎年咲く桜、同じ場所、同じ時期、同じ木
この自然を「美しい」と感じるか、「単なる風景」として見過ごすかは。自分の心の持ち方次第。

忙しさや悩みに押しつぶされているときは、目の前にどんなに綺麗な景色があっても気付けないもの。
深呼吸して、意識して周りを見てみる。
そこには見落としていた「美しいもの」がたくさん存在しているかもしれません。

あなたの心の持ち方で、周りの景色は色づいていきます。
今のあなたの景色に色があるか、色がないか、意識してみてください。

心の状態が客観的に判断できる材料になります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました