「いつでも相談してね」
「辛い時こそ頼ってね」
こんな言葉に救われた経験がある人も多いはずです。
もしその言葉の裏に“別の顔”が潜んでいたら・・・。
意外に「人の不幸をエンターテイメントにする人」は実は身近にいます。
厄介なのは、彼ら彼女らは“いい人”を装って近づいてくるので気付かれにくいことです。

本当に“あなたの味方”か?
「あなたの話を聞きたい」と言ってきたその人は
本当にあなたの立場に立っていくれているのか?
それとも
あなたの不幸話を肴にして、心の中でほくそ微笑んでいるのか?
こういった人たちは、たいてい“聞き上手”を演じています。
「えー、そんなことがあったの?ひどいね」
「それは辛かったよね。よく頑張っているよ」
と、口では共感を見せながら、
内心ではあなたの不幸に“よだれ”を垂らしているのが本性。

なぜ他人の不幸に反応するのか
人間には「優越感」を求める本能が備わっています。
自分より上手くいっていない人をみると、安心してしまう生き物なのです。
- 自分より苦しんでいる人がいる
- 自分より不幸な人がいる
- 自分の選択のほうがマシだった
こう思うことで、自分の現状を正当化できる。
そのために、誰かの不幸を“材料”にしてしまう。
これは本能のようなものだから、完全に消すことは難しいのです。
自覚なくやってしまっている人が多く、表面的には優しいフリをしながら
自分の幸せや価値を確認して「自分もそんなに不幸ではない」と感じて安心しています。
綺麗事を抜きにしたら
嫉妬妬みや比較意識が働いていて、自分に影響のない他人の不幸は
自分の地位や自己肯定感をあなたと比較して高めたように感じさせます。
自分より相手のほうが優位だと感じているほど、その人の不幸に「ざまあみろ」といった感情が生まれやすくなるものです。

“優しさの仮面”をかぶった人たち
特に要注意なのが、
「他人の相談に乗るのが好き」だと言う人です。
本当に親身な人も中にはいますが
実際に“他人の不幸に依存している人”は存在します。
- あなたの悩みを他人に話してネタにする
- あなたの弱さを何度も蒸し返して共感を演じる
- あなたが好調だと、なぜが不機嫌になっている
こういう人は、あなたの「不幸な状態」でしか、自分の存在価値が保てないのです。
あなたが元気になろうとすると、無意識に邪魔してきます。
「無理しない方がいいよ」
「焦らなくていいと思うよ」
その耳障りの良い言葉が優しさと勘違いしやすいから問題です。
彼らは完全犯罪の如く、あなたの足を引っ張っています。

本当にあなたを思う人は「距離」を守る
本当に信頼できる人は、あなたの弱さにズカズカ土足で踏み込んできません。
励ましずきないし、共感しすぎない。
一歩引いた距離を保ちつつ、見守ってくれています。
そして、あなたが前を向き出したら
「よかったね」と素直に喜んでくれる。
あなたの「不幸の物語に寄生していない」姿勢があります。
本当にあなたを思っている人には言葉の重みがあり、信頼できます。

不幸話を簡単に人に話さない
あなたの人生の“負の部分”を、誰にでも話してはいけません。
話せばスッキリすると思っても、その話を“ネタ”として持って帰る人間はどこにでもいます。
愚痴や弱音は、本当に信頼できる人、一人だけに話すか、
ノートに書き出して自分だけが見えるようにしておく方が安全です。
感情のゴミ箱は、しっかりと見極めないと結局自分が傷つくことになります。

“優しい人”ほど警戒する
人の相談によく乗る人
悩みをよく聞いてあげてる自分に酔っているナルシストな人は
無意識のうちに「他人の不幸を自分の燃料」にしていることがあります。
「この人、いつも誰かの悩みを引き出しているな」
このように落ち着いて客観的に相手をみることによって気付きがあったら
その人とは少し距離を置いてみる。
あなたを“守っているように見える人”が
実はあなたを“依存させている”可能性もあります。

自己完結力を持つ
最終的には、自分の中で“悩みを処理する力”を伸ばしていくことです。
- ノートに書き出す
- スマホを置いて内省する
- 美味しいものを食べる
方法は何でも大丈夫です。
他人の共感や優しさに頼りすぎず
自分の心で整理ができるようになると
“他人の不幸の密”に吸いに来る人たちは、寄り付かなくなります。

まとめ
あなたの人生は他の人が代わりに生きてくれません。
あなたから搾取する誰かの“慰め材料”でも、“優越感の餌”でもありません。
不幸の密に酔ってくる吸血鬼とは距離を取ってください。
優しさの仮面に惑わされず。
本当の味方だけをあなたのそばに置いてください。

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