力をつけてから救う

自己成長・メンタルケア

自分のチームを守り抜くためには、どんなに正論を訴えかけようと、どんなに必死で抗議しようと、決定権を持つ人物からは、なんの影響も与えることはできなかった。

どれだけ好成績を残そうが、過去最高の利益に貢献しようが、決定権を持つ人の気分で決められる。

自分の力の無さを痛感した。

自分が圧倒的な結果を出し、実力をつければ守りたい人は何もしなくても勝手に助かっていくことをまだ知らなかった。

地獄への道は善意で舗装されている

困っている人を目にすると、人は本能的に手を差し伸べたくなる。

「苦しそうにしている相手にアドバイスをすれば救えるかもしれない」と考えてしまう。

この時に自分が“未熟な状態”だったら、伝える言葉や行為は、ほとんどの場合なんの効果もない。

未熟な人が口にする助言は、未熟な内容をそのまま相手に伝えている。

同様に、未熟な人が改善する内容は、やはり未熟な改善内容で余計に手間がかかることも多々ある。

地獄の道は善意で舗装されている

良かれと思って行った善意の行為が、かえって悪い結果や悲劇を招くことがあることを指す。

中途半端な経験や知識から生まれる言葉は、深みに欠けて、場合によっては誤った方向へ導きかねない。

助言を受け取った相手は「信頼できる情報」と勘違いして努力は重ねたものの、問題の解決には至らず、時間ばかりすぎてしまう。

助けようとした側は自己満足を得るだけで、責任を負わない。と、言うより負えない。

助言してくれた人に注意なんてしたら、「良かれと思ってやったことなのに!」逆ギレされて終わるだけ。

残されるのは迷走する本人だけ。

きちんと“地獄”を経験する

成長に“痛み”は欠かせない。

壁にぶつかり、打ちのめされ、絶望の淵でもがく経験があってはじめて、人は本当の意味で強さを得る。

他人がこの過程を奪えば、力は身につかない。

九死に一生を得えた人が、後々に大きな偉業を成し遂げることはよく聞く話。

本当に「人生のどん底」や「あ、もう終わった」みたいな事を経験すると“覚醒”や“開き直り”のきっかけになる。

このような危機的状況を経験した人は、「これ以上落ちることはない」と感じて、生き方や考えたも大きく変わることがある。

そして「死にかけた、もうダメだ」と経験して命拾いした経験をすると

「本当に自分も死と隣り合わせなんだな」「いつも通りの明日なんて来ないんだな」と実感して理解する。

限られた命(時間)があるうちに、後悔しない人生を生きよう!とポジティブな原動力が生まれてくる。

このように“きちんと地獄を経験した者”だけが、這い上がる力を備えられる。

誰かに救われた苦難は、結局のところ、自分の実力にはならない。

自らが、もがき、苦しんで、答えを見つけ出す経験を積ませることが、のちの成長になる。

実力が圧倒的になれば自然と相手は助かっていく

人を本当に救えるのは、自分が圧倒的な実力を持った存在になったとき。

突出した成果を継続してだせている人物であれば、仕事には困らないし、仕事も舞い込んでくる。

自分のチームの舵取りは自分で行える。決定権者は自分だ。

決定権者の気分で仕事が無くなることも、誰かへの忖度でチームが解散させられることもなく

皆で好きな仕事に打ち込み、対価を得続けることができる。

自らが社長になれば、安心して働ける環境を整えることができる。

未熟な立場で正論を挟むのではなく、自らの意思で制度や生組を作ることができる。

人を本当に助けたいなら、まずは自分を磨き続けるしか方法はない。

未熟な言葉を投げる代わりに、圧倒的な力を築き上げる。

そうすれば、自然に助けたい人は救われていく。

まとめ

未熟な人が良かれと思ってやったことが、実際には迷惑になる場面は意外に多い。

自分では善意を振りかざしているつもりでも、結果は害悪にしかならない。

安易な助けたい衝動を抑え、自らを磨き続けること。

実力が圧倒的になった時に自然に周囲の人は救われていく。

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