今ここが天国にも地獄にもなる

考え方

「自分は天国にいけるかな」

「地獄に落ちないように善行を積んでおこう」

古くから多くの人が、死後の世界を想像し、天国や地獄という概念に思いを馳せて来ました。

ですが、よくよく考えてみますと、果たして“あの世”だけに天国や地獄があるのでしょうか?

スピリチュアルな話だけではなく、現実的に考えてみるとこのように置き換えられます

「天国」や「地獄」とは、死後に訪れる場所でなはく、私達が今この瞬間、生きている“日常”そのモノの中にあるのだと。

心の状態が天国にも地獄にもする

例えば、朝目が覚めたときに爽やかな気持ちで空を見上げ「今日も一日、丁寧に生きよう」と感じられる日があります。

そうした日は、不思議と人との関わりも円滑で、仕事も前向きに取り組め、心地よい疲れの中で一日を終えることができるでしょう。

まるで日常の中に小さな「天国」があるかのようです。

しかしその一方で、心がささくれ立ち、誰かの言葉に過敏に反応し、不平や不満ばかりが心に浮かぶ日もあります。

何をしても空回りし、人とぶつかり、なぜ自分だけがこんな目に合うのかと苦しみ続けるような日。

それはまさに、「地獄」とも言えるような心の世界です。

心の世界が現実を創る

多くの人が「今の環境が悪いから辛い」と言います。

もちろん、理不尽な状況や過酷な環境は現実に存在します。

しかし、それでも同じ環境の中で「笑っている人」と「嘆いている人」がいるのも事実です。

違いは何か。それは“心の焦点”がどこに向いているかということです。

失ったものばかりを数えていれば、日常は苦しみに満ちた地獄のように思えるでしょう。

しかし、小さな喜びや誰かの優しさに目を向ければ、そこには感謝と穏やかさが広がって来ます。

天国とは「満たされた場所」ではなく「満たされている事に気付ける心が作る場所なのかもしれません。

「今この瞬間」を丁寧に生きるという選択

人生には、選べないこともたくさんあります。

生まれた環境、過去の出来事、他人の考え方ーーそれらは私たちの力ではどうにもならないことです。

けれど「今、自分がどう感じて、どう選ぶか」は私たちに与えられている自由です。

不満や怒りに焦点を当てることもできれば、感謝や優しさに心を向けることもできます。

「天国に生きるか、地獄に生きるか」は「今この瞬間」に私たちがどう在るかにかかっているのです。

亡くなってから行く場所は亡くなったときにしかわかりません。

そんなことを気にするよりも、今生きている間に「天国のような日々」を選び取る努力のほうがずっと大切ではないでしょうか?

まとめ

人生は、常に「選択」の連続です。

自分の内側にある世界をどう整えるかによって、私たちの感じる人生はまるで変わっていきます。

死後に天国があるかどうかはその時にならないと誰にもわかりません。

しかし、今この瞬間を丁寧に真っ直ぐ誠実に生きることができれば、私たちは既に天国にいるのかもしれませんね。

そしてその生き方が、きっと誰かの心を照らし、また新たな「天国」を生み出してくことでしょう。

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